映画館で感じた懐かしさと、本を通して知った里伽子の孤独。
二つの体験が重なって、「もう戻れない青春の痛み」を思い出しました。
映画館でリバイバル上映を観たとき、私は登場人物を追うよりも、背景に描かれている高知の空や海、自然の風景に目を奪われていました。
それほどまでにアニメーションの絵が美しく、ストーリーそのものよりも映像が語りかけてくるようで、懐かしい気持ちに包まれていたのです。
ところが本を読み始めてみると、印象はまったく違っていました。
里伽子は「東京に戻って、以前の暮らしを取り戻したい」と強く願う17歳の少女として描かれていたのです。
両親の離婚により、東京の家(父の実家でもある)を離れ、母の実家がある高知へと移り住むことになった里伽子。
東京では充実した高校生活を送り、ボーイフレンドもいた彼女にとって、突然の転校は理不尽な親の都合であり、受け入れがたいものでした。
転校先ではその美しい容姿が男子生徒の注目を集める一方で、女子には快く思われず、集団行動を好まない態度も「強がり」と映ったはずです。
それが本来の里伽子の性格なのか、それとも環境に翻弄されて身につけた振る舞いなのか──読み進めながら考えさせられました。
里伽子が帰りたいと願った東京の家には、すでに父の新しいパートナーが住み、家の雰囲気も変わってしまっていました。
壁紙の色ひとつとっても、もう「自分の家」ではないと感じてしまう。
10代の多感な時期に必死で居場所を探す中で、彼女は「自分の居場所だと信じていた東京」にも居場所を失ったのだと思います。
そんな不安や孤独を抱えながら、彼女は時に涙を流し、時にお酒に頼り、どうにか心が折れないように踏ん張っていた。
そして少しずつ時間を重ね、高知での高校生活を終えたあと、里伽子と拓は再び東京で学生生活を送ることになります。
この物語には続きがありますが、それもまた重たさを含んでいるので、今回は一冊目の感想だけにとどめたいと思います。
映画を観た余韻で本を読んでみて、10代の「もう戻れない青春の痛み」を強く感じました。
きらめきや爽やかさではなく、ずっしりと心にのしかかる重さ。
私自身も3度転校を経験し、そのたびに「転校生」というレッテルを背負ってきました。
どこへ行っても地元に根づいた行事からは置き去りにされ、クラスメイトの「当たり前」が分からず混乱したことを覚えています。
だから「よさこい祭り」を知らなかった里伽子の戸惑いが、よく分かるのです。
振り返ってみると、里伽子の強がりながらも必死に生きる姿は、自分の過去と重なって見えました。
映画で受け取った印象とは違い、文章として描かれる里伽子や拓の日常は、胸の奥に重たく響いてきます。
誰にでもある「居場所を探した時間」。その痛みを思い出すことで、里伽子の姿がより鮮やかに心に残りました。

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